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武州八王子高野山別格本山 金剛院

金剛院は東京都八王子市上野町にある高野山真言宗の寺院です。 寺史、行事、教室、八王子七福神、関東八十八ヶ所霊場など巡拝巡礼を紹介している金剛院公式ホームページです。

金剛院沿革


 金剛院は、弘法大師空海の法灯を継ぐ高野山真言宗の寺院です。
今からさかのぼること四百数十年前の天正四年(1576)僧真清によって開かれ、明王院という寺名でありました。「歴代住持言い伝え」によりますと、現在地よりやや南方の丘陵に連なる土手下の地(元跡という当院所有地)に建てられた不動堂がその草創と伝えられており、その前身を今に継承し、本尊として不動尊像を安置しております。
時に、八王子では小田原北条氏照が八王子城を築いたとされる時期に相前後しております。

古地図

 それから五十年余りを経た寛永八年(1631)、第三世覚常の時代に、現在地に伽藍を設けたことが寺伝に記されております。
その当時、この地は八王子城の落城に伴う旧城下町の移転によって、八日市・八幡などが開かれました。この二宿の間を二町余り南に入る、旧甲州街道に面した要衝に伽藍を設けました。
そうした現在の地への移転と伽藍の造営は、「寛永九年大久保長安地割図(写)」の記載から、八王子総奉行大久保長安の陣屋内の東南(巽)の一画にあった大師堂を含む地が、現在の当院の境内にあたっております。このことから、おそらくは同大師堂を受け継ぐかたちで明王院が移転、同院の不動尊像と大師堂の弘法大師像とを奉安し、金剛院として、新たなる伽藍の開設に至ったものと思われます。

昭和初期頃 石塔写真

 当院は、昭和二十年(1945)八月二日未明、戦火によって諸々の建造物が灰燼に帰しましたが、寛政二年(1790)に寺社奉行所に差し出した『境内古絵図』(当院所蔵)に、本堂、観音堂、鐘楼堂、土蔵、鎮守稲荷社、庫裏、雪隠、馬屋、表門、長屋門、裏門などが、間数・坪数などともに描かれ、往時の伽藍配置が知られます。また、伽藍の東側には、天満宮(現天満神社、神仏分離以前は当院の鎮守社)が勧請されておりました。

古地図

 当院には、昭和三十七年に東京都の重要文化財に指定された「紙本著色高野山図絵」(屏風)や「紙本著色西王母図」(屏風)のほか、「仏説阿弥陀経」(禁中下賜、伝菅原道真筆)や「十六善神図」(鎌倉時代)、「不動尊木座像」(伝生駒宝山寺湛海作)、「不動尊画像」(伝智証大師作)ほかがあり、金剛院会館都文化財収蔵展示室に保存・展示(通常未公開)しております。
[金剛院仏教文化研究所編]より抜粋修正

 

公開期間は行事案内にてお知らせ致します。

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